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別府 ホテルのメリット情報

C根さんは、I藤先生が氷川台に移られたあとでも、先生の腕を信頼して、わざわざそこへ通っていらっしゃったのである。
そんなある日のことである。 私か商売でI藤先生の医院に行ったとき、たまたま、豊玉中にビルを建てたいと思っているという話をしたのである。
と、聞いた先生かおっしゃるには、「それなら、ここに親分がいるよ」つまり、そのとき治療台に座って先生から治療を受けていた方こそ、その町内会長のC根さんだったのだI.これには私もおどろいたが、先生も、「そんなわけだから、あなたも、うまくやってくださいよ」と、その場でC根さんにおっしゃってくださったのだ。 C根さんも、その先生の言葉どおり、私どもと近隣の方との話し合いでいろいろと骨を折ってくださった。
そんなこんなの「偶然」のおかげあって、やがて、何も問題が起こることなく、無事、現在の本社ビルが完成したというわけだった。 竣工式の挙行は、当社が株式会社に組織変更して約2年半後の昭和61年、私の誕生日である1月11日のことだった。
この偶然の重なりを、ほかの方はどう思われるだろうか。 たしかに「運がよかっただけ」で片づけることは簡単だが、あまりにもよく出来た話で、小説などでこんなストーリーを読むと、かえってリアリティが感じられないくらいではないだろうか。

私には、やはり何かの助けがあったとしか考えられないのである。 ところで、この本社ビルを建てるとき、当社の規模は、まだこのビルの大きさに見合うものではなかったことも事実だった。
当時の社員数は十数人で、はっきり言えば、このビルは大きすぎたのである。 しかも、このビル建設のために、私は生まれて初めて銀行から借金していた。
そんな理由から、最初は、このビルの3階以上をワンルームマンションとして貸し出し、その家賃収入を返済の一部に充てようという計画も立てたほどだった。 だが、結局、そうはしなかった。
このビルのすべてを、会社として使うことにしたのである。 もちろん、不安もないわけではなかったが、自分を鞭打ってくれる人は誰もいないので、あえてそうすることで、自分を鼓舞しようとしたのだ。
借りた金は商売で返すしかない。そう決意したことで、いっそう私の心に闘争心が湧きあがってきたのだった。 その後、私はさらに商売に精を出すことになり、やがて、なんとこのビルを建てる前に比べて、売上げを2倍、3倍もアップしていくことができたのである。

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